2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

7月11日 読売新聞 編集手帳

小椋佳さんが作詞し、作曲した「ほんの二つで死んでゆく」という歌がある。ご自身の経験ではないが、事故で早世した2歳の男の子に捧げた曲という <雨が降る 僕はしずくをかき集め/ほんの二つで死んでゆく/あなたの小舟を浮かべたい…>。36年前の同名のアル…

7月10日 読売新聞 よみうり寸評

<会社の風土>―4年前のJR福知山線脱線事故の際に、当時のJR西日本のトップがこの言葉を使った 言われてみれば、どこの会社にもそれぞれに特有の<風土>があるに違いない。良いものは伝統として継承していけばいい。が、悪い風土なら、急いで根本的に改…

7月10日 読売新聞 編集手帳

森鷗外「うたかたの記」は、少女とのはかない恋を描いている。少女は湖で死ぬ。遺体が引き上げられた時、芦辺から蛍が現れた。<あはれ、こは少女が魂の抜け出でたるにあらずや> 亡き人の霊のように、光り、舞う。蛍の季節になると思い出す光景がある。4年…

7月9日 読売新聞 よみうり寸評

<美しい牧場>―ウルムチとはそういう意味だ。中国新疆ウイグル自治区の区都。高層ビルが立ち並ぶ大都会で牧歌的な情景は昔のこと 経済的発展はいいとして、元牧場が今や<パレスチナ化>の過程にあるといわれる。ウイグル族と漢族の互いの憎悪が流血の衝突…

7月9日 読売新聞 編集手帳

芸人は食うものを食わなくても、着るものには金をかけろよ。無名時代のビートたけしさんにコメディアンの師匠、深見千三郎さんはそう教えたという <腹へってんのは見えねぇけど、どんな服着てるかってのはすぐにわかるぜ>と。たけしさんの自伝エッセーにあ…

7月8日 読売新聞 よみうり寸評

<97歳の始球式>―巨人のOBで最高齢の前川八朗さんがきのう、東京ドームの巨人−横浜戦で始球式を行った。おそらく始球式では史上最高齢記録だろう 投球はさすがにホーム手前でバウンドしたが、97歳でマウンドに上がる―この元気な姿がうれしい。球団創立75…

7月8日 読売新聞 編集手帳

中国共産党に君臨した毛沢東が専用列車で国内を旅したとき、沿線の党支部は遠方の水田から見ばえのいい稲穂を大量に抜き取り、線路に沿って植え替えた 最高権力者に誉めてもらいたい一心から出た豊作の偽装工作であったと、毛主席の元主治医、李志綏氏が「毛…

7月7日 読売新聞 よみうり寸評

<素直>という名が泣いている。その名と放火、殺人の容疑との落差は大きい。自ら出頭してきたところだけが、わずかに素直か 大阪市此花区のパチンコ店「CROSSニコニコ」に放火したと出頭してきた男は「高見素直」と名乗った。現場から400㍍のマンションの独…

7月7日 読売新聞 編集手帳

鉄筋コンクリートの橋は丈夫だが、木の橋には木の橋で、いいところがあるらしい。文芸春秋の元編集者で随筆家の故・車谷弘さんが「銀座の柳」(中公文庫)に書いている 子供の頃から何度も洪水を経験した車谷さんによれば、木の橋の良さはすぐ流されることだと…

7月6日 読売新聞 よみうり寸評

<いつ果てるともなく>とは、このゲームの為の言葉かと思うようなファイナルセットだった テニスのウィンブルドン選手権最終日の男子シングルス決勝、ロジャー・フェデラー(スイス)対アンディ・ロディック(米)は、最終セットだけで30ゲームも重ね、フルセッ…

7月6日 読売新聞 編集手帳

「レイキャビクで、核のない世界を目指す私の希望は、しばし舞い上がったのち地に落ちた」―米国のレーガン元大統領は、決裂に終わった1986年10月のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長との米ソ首脳会談をこう回想している 核軍備競争に邁進した冷戦時代の両超大…

7月5日 読売新聞 編集手帳

<仕事を幸福の原因の一つに数えるべきか、それとも、不幸の原因の一つに数えるべきか>。バートランド・ラッセルの幸福論第14章「仕事」の書き出しだ 日本生産性本部が今年入社の会社員約3000人に「デートの約束がある時に残業を命じられたらどうするか」と…

7月4日 読売新聞 よみうり寸評

「えっ、どうしたの?」。スタンドのあちこちから、そんな声が上がった。「ちゃんと説明しろよ」。怒りを込めたヤジも飛んだ 先日の東京ドーム、巨人―ヤクルト戦でのこと。二回、巨人の先発グライシンガーが打者を三振に仕留め、ベンチに戻ろうとした。が、…

7月4日 読売新聞 編集手帳

易者の前で子供たちがふざけて騒ぎ、商売の邪魔をする。「お前たちは、どこの子だ」。易者が怒ると、子供が「当ててみな」 当たるも八卦、当たらぬも八卦をからかった小咄だが、国政選挙直前の東京都議選という「占い」に限っては高い的中率で知られている。…

7月3日 読売新聞 よみうり寸評

<モンキー乗り>―短いあぶみ、背中を丸め、腰を浮かせて乗る。今の競馬では当たり前の騎乗法 だが、これを初めて米国で学び、日本にもたらし定着させたのは保田隆芳騎手だった。1958年(昭和33年)に、前々年の日本ダービー馬ハクチカラと共に渡米した際の収…

7月3日 読売新聞 編集手帳

歌人の島田修二さんは晩年、車にはねられる災難に遭った。事故のことを詠んだ連作がある。<大丈夫デスカトイフ声 ワカラナイ イマ一番ニ私ガ知リタイ> 円熟した詩心の手にかかればこういう事柄も歌に昇華するのだと、読み返すたびに深く感じ入る一首である…

7月2日 読売新聞 よみうり寸評

<なんちゃって>―いかにもインチキで軽薄な響きがある。ジョークならいいが、それが病院で手術とのかかわりで使われていた 「これは<なんちゃって>にしといて」といえば架空手術のこと。架空の偽装カルテには黒、実際に手術したなら赤のペンが使われてい…

7月2日 読売新聞 編集手帳

老中松平定信は「寛政の改革」で文武に精を出すよう促し、これまでに学んだ師匠の名前を書き出せ、と旗本衆に命じた。遊び暮らす連中は困ったらしい 弓は誰、馬は誰、学問は誰と、故人の名前ばかりを挙げ、「只今は皆、死去つかまつり候」と書く者が続出した…

7月1日 読売新聞 よみうり寸評

<個人献金>とは<故人献金>の誤りでしたでは、シャレにもならないが、それを認めて謝罪した 民主党の鳩山代表のこと。きのう、記者会見して、自らの資金管理団体「友愛政経懇話会」の政治資金収支報告書に、すでに死亡した人や実際には寄付をしていない人…

7月1日 読売新聞 編集手帳

昭和の20〜30年代にかけて「ヒゲの伊之助」として親しまれた大相撲の立行司、第19代式守伊之助には、勝ち名乗りをあげようとして力士の名前を忘れ、「お前さァん」と呼んだ逸話が残っている さすがの伊之助さんでも、この四股名は忘れないだろう。今月12日に…