読売新聞 編集手帳
小椋佳さんが作詞し、作曲した「ほんの二つで死んでゆく」という歌がある。ご自身の経験ではないが、事故で早世した2歳の男の子に捧げた曲という <雨が降る 僕はしずくをかき集め/ほんの二つで死んでゆく/あなたの小舟を浮かべたい…>。36年前の同名のアル…
森鷗外「うたかたの記」は、少女とのはかない恋を描いている。少女は湖で死ぬ。遺体が引き上げられた時、芦辺から蛍が現れた。<あはれ、こは少女が魂の抜け出でたるにあらずや> 亡き人の霊のように、光り、舞う。蛍の季節になると思い出す光景がある。4年…
芸人は食うものを食わなくても、着るものには金をかけろよ。無名時代のビートたけしさんにコメディアンの師匠、深見千三郎さんはそう教えたという <腹へってんのは見えねぇけど、どんな服着てるかってのはすぐにわかるぜ>と。たけしさんの自伝エッセーにあ…
中国共産党に君臨した毛沢東が専用列車で国内を旅したとき、沿線の党支部は遠方の水田から見ばえのいい稲穂を大量に抜き取り、線路に沿って植え替えた 最高権力者に誉めてもらいたい一心から出た豊作の偽装工作であったと、毛主席の元主治医、李志綏氏が「毛…
鉄筋コンクリートの橋は丈夫だが、木の橋には木の橋で、いいところがあるらしい。文芸春秋の元編集者で随筆家の故・車谷弘さんが「銀座の柳」(中公文庫)に書いている 子供の頃から何度も洪水を経験した車谷さんによれば、木の橋の良さはすぐ流されることだと…
「レイキャビクで、核のない世界を目指す私の希望は、しばし舞い上がったのち地に落ちた」―米国のレーガン元大統領は、決裂に終わった1986年10月のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長との米ソ首脳会談をこう回想している 核軍備競争に邁進した冷戦時代の両超大…
<仕事を幸福の原因の一つに数えるべきか、それとも、不幸の原因の一つに数えるべきか>。バートランド・ラッセルの幸福論第14章「仕事」の書き出しだ 日本生産性本部が今年入社の会社員約3000人に「デートの約束がある時に残業を命じられたらどうするか」と…
易者の前で子供たちがふざけて騒ぎ、商売の邪魔をする。「お前たちは、どこの子だ」。易者が怒ると、子供が「当ててみな」 当たるも八卦、当たらぬも八卦をからかった小咄だが、国政選挙直前の東京都議選という「占い」に限っては高い的中率で知られている。…
歌人の島田修二さんは晩年、車にはねられる災難に遭った。事故のことを詠んだ連作がある。<大丈夫デスカトイフ声 ワカラナイ イマ一番ニ私ガ知リタイ> 円熟した詩心の手にかかればこういう事柄も歌に昇華するのだと、読み返すたびに深く感じ入る一首である…
老中松平定信は「寛政の改革」で文武に精を出すよう促し、これまでに学んだ師匠の名前を書き出せ、と旗本衆に命じた。遊び暮らす連中は困ったらしい 弓は誰、馬は誰、学問は誰と、故人の名前ばかりを挙げ、「只今は皆、死去つかまつり候」と書く者が続出した…
昭和の20〜30年代にかけて「ヒゲの伊之助」として親しまれた大相撲の立行司、第19代式守伊之助には、勝ち名乗りをあげようとして力士の名前を忘れ、「お前さァん」と呼んだ逸話が残っている さすがの伊之助さんでも、この四股名は忘れないだろう。今月12日に…